「フラ」がある人

フラ: 持って生まれたおかしみや愛嬌。「フッと笑ってしまう」の略。落語言葉。

前の記事の続きのような…

 

 

 

大野さんが寡黙な時ってのは大体大勢でポンポン会話を飛ばしている時。

 

大野さんは視覚的なものは一瞬でいろんな情報を読み取れるから、ダンスの振り映しが早かったり作品の特徴とかをピンポイントで掴んで投影したり語ったりできる能力には長けてるんだけど、聴覚的なものは音の情報と言語の情報がかなり分離されて到達している気がします。

音は映像に似て世界観がグラビア化できるものだからすぐ掴めるけど、反対に言語はそれを吟味して理解して返すまでのスピードが遅い、というか単フレーズなら良さそうなんだけど複数あると4人がそっち系の回転が早いから任せちゃうのかな。そういえば視覚も文字だと途端苦手意識出てしまいますよね。言語は文字より音声の方がいいみたいだけど、誰ともなく全体に向かって話している時はワンテンポ反応が遅れてること、よく目撃します。全体に向かってる時は自分は関係ないと意識から外してしまうことが多いような。

翔くんがトークの時にわざわざ「大野さん」と指名して話を振るのはそれを分かっていて、「大野さんに向かって話しています」というサインを送ってるのかな、なんてふと思ってしまった。

(それ以外にも大野さんに振ったら面白い答えを絶対に返してくれる人ってのもあるかな。)

 

志村さん系のお笑いが好きなのはきっと擬態やモノマネが好きで、人が笑ってくれるのが嬉しい、笑わせたい欲求を感じる時があります。それと得意でついやっちゃう感じも小学生みたいな(失礼)。パッと自分にその芸が咀嚼できて、楽しくなってみんなに見せて笑ってほしいなぁみたいな感覚がある人なんだろう。

 

「人の挙動を映し撮ってコピーする」

切り取った描写が特徴をよく掴んでて上手いのも、瞬間的に「映し撮って自分に重ねる」術がとっても身についているからだと思います。

普段から人の言ったことを言葉だけじゃなくて特徴をつかんだモノマネ込みで伝える、ただの伝聞じゃなくその時の口調も真似る。そういう人って時々いますよね。大野さんもそういう人っぽい。

 

松兄は「True West」の時に「自分は大野に役はできないけど、大野は自分の役ができる」といったのも「誰の本質も皮膚感覚的に感じ取って、そのものになり切れる」ということなのかな。

(オネエ系の人と仲良くなれるのも、心から女性になりきる彼らに共通点を感じるのかもしれないし、加藤諒くんとウマが合うのもそうなのかなと、なんでもそうかもと私は納得してしまうけど、どうなんでしょうね)

 

 

人間としては飾らないし、話の輪の中心に行こうとするわけでもない。むしろすみっこでみんなを眺めてる風なのに、話を振られたりいざ何か話し始めると惹きつけられる。そんな大野さんに興味を持ってどこか目の端に入れておきたい存在になっている人が結構いて、そういう人たちの目線がすごく暖かい。自分から出て行かないからついつい「こんなやつだよ、そこがチャーミングなんだ」と吹聴したい人たち。

 

東山さんなんかいつもお父さん目線だし松兄も完全ににいちゃん目線だし。なんか自慢の子で自慢の弟なんだけど、気にかけとかないと浮いちゃうんじゃって見守ってる感じで。

以前+actの「世界一難しい恋」の演出、プロデューサー対談で、嵐が結成された時松岡くんと「あの子は大丈夫か」みたいな話をしたとあったのですが、もうその時からずっと気にかけてくれてたんですね。東山さんもゲストで出れば大野さんが喋るたび笑ってるしイジるし、それでいて必ずと言っていいほど褒めちぎる。もうずっと保護者目線ですよね…

タモリさんも涙目ネタで構い続けるし徹子さんも廊下女優で大野さんのドラマにだけ特別出演するし、杉本哲太さんにも息子みたい、大好きですと言わせるし…

映画やドラマで共演した人たちは皆さんお互いのことを褒めあっているけど(なんかもし良くない印象があったとしてテレビで悪くいう人なんていないだろうけど)、なんか大野さんに対する時の共演者は、ちょっと違う種類のものを感じる時がある。「近づきたい、気にかけたい」という感じ。その気にかけたい人が私たちから見えるだけでもゾロゾロ出てくる。それはなぜなんでしょう。

 

 

死神くんで松重さんの大野さん評が「フラがある」

誰にもは持ち合わせない本人が醸し出す特別な雰囲気を感じてのことなんですよね。その言葉が浮かぶってのはへえーと思いつつわざわざこの言葉を出すってのはリップサービスとは思えない、大野さんの特別な部分を役者の達人が見るとそう感じるんだなと。

 

ムカついたりイライラしている時に誰かがそばに寄り添うってのは、ありがたい時と迷惑な時があると思うんだけど、よく嵐のメンバーがそれを大野さんの美徳として語っているのは、やはり大野さんにフラがあるからじゃないかな。

気持ちがささくれてる時に黙ってそばにいてくれて、とかお茶目な事して笑わせてくれるのが負担や邪魔と感じない、いてくれると自然に癒される押し付けがましくなさがあるんだろう。

菅田くんは 大野さんのことを「脳みその中を見て見たい」と、翔くんの「大野さんの目で見てみたい」的なことをやっぱり死神くんの時に言ってましたが、みんながそう思う、興味を持ってしまう存在なんだろうと思います。私も大野さんの目で一度世界を見てみたいって思うもの。

 

めんどくさそうだな、自分と違う人種なんだろうな、奇人だからしょうがないじゃなくて面白そうだな、この人と親しみたいな、なんなら一度その世界を共有してみたいなと思わせる独特の人間性。そこにみんな惹かれて気にかけたい。

だから、2年後にどこでもドアを開いて踏み出す世界は大野さんにはどんな風に見えるだろう。きっとそんな風に近しい人たちは見守り、応援しているのではないかな。

 

 

多分大野さんが芸能界から休暇を取って世間を見たら、やっぱり自分の世界観とは違うものをいっぱい見ると思う。世間も結構窮屈だなと感じることもあるかもしれない。でも反面取捨選択を自分に任されているから色んなことを新鮮に感じて、その独特な人間性でたくさんの良い出会いができて自分の好き、面白いもいっぱい見つけてくるだろうなと思う。それくらい全世界見渡して、楽しいものをたくさん見つけてくれたらいいと思っています。

 

 

 

ところで事務所が彼の才能を隠しているというバカげた説をまるで真実のように言い続けている人たちもいますが、そもそも彼の才能を開花させたのはその事務所に他ならないわけで。

Kyo to kyoでの訓練のような生活しかり、PLAYZONEの主役抜擢や演技者でのアドリブ演技練習しかり、ウエストサイドでの発声面での飛躍もそう。もちろん事務所側の損得考えての部分もあったでしょうがそれは運営する立場としては当然で、でもそういう芽があると感じたからこそ、まだ若いうちにいろんなことを経験させてくれたんじゃないのかな。

Kyo to kyoでの生活を終えて、ジャズダンスを極めたからという理由で、次になんになるという目的もはっきり決まってないのにやめそうだった大野さんを引き止めデビューさせて、その後もデビュー組の特権でいろんなことに挑戦させ育ててくれた。目をかけてくれたからこそ、今のレベルの高いスキルを持ち得た大野さんがいることを自身もちゃんとわかっていて。だからジャニーさんや事務所に感謝の言葉を惜しまないんじゃないでしょうか。結構自分から好んでジャニーさんネタにするし、ジャニーさんの話する時いつも楽しそうだし。(このブログ全体で1番言いたかったこと。じゃないとあの大野さんが20年以上い続けられるわけないじゃないかー!という心の叫びでした)

 

 

「大野くんは芸能界にいながら普通の感覚を失わない人」と小堺さんがサタプラで言ってたけども、普通の感覚の人が芸能界にいてそれを失わずに20年以上い続けられること、それが案外普通じゃないのかもしれないなと思う今日この頃。

それは気にかけたい人たちの優しさも大野さんの助けになっていたかもしれません。

 

お友だちの竜さんが今回の大野さんの決断をどう感じているかも聞いてみたいなとちょっと思っています。