My controls , but my pace

語弊あるかもしれないけれどジャニーズの中では「大野だから」で許されてること、結構あると思うんです。入所した時から今までずっと。許されてるというとかなり誤解を生みそうなんですがどう言えばいいかよくわからなくて。

 

蜷川さんの舞台の打診も、勉強になるんだからと粘られたかどうかはわからないけど、怖そうヤダヤダで逃げ切った。そんな理由でやめたいと主張できるんだーとさとらじを聴きながらビックリした記憶。

ジャニーズで初めて個展をやったことも画期的だけどそれが無料開催。あれは事務所の考えじゃなくて大野さんの意向だったんじゃないかなと思っています。そんな画家の作品でもない、ファンが観たいと言ってくれたから観せたいなと思っただけのことにお金もらうなんてとか思っていそうだから。アイドルなんだからファンからしたら有料でも当然観に行くだろうことは事務所だって本当は計算できてただろうし、少しも元を取らないとかこれもビックリだった。

前も後ろもわかんないくらい釣りで日焼けした時もこっぴどく怒られたみたいだけど、結果的にはやり続けた結果の焦げっぷりだった。

もしかして大野さんに回ってくる役があっても(かどうかはもちろん語られてないからわからないけど)他のメンバーよりクールからクールまでを広くとっていたのはなぜだろう。人気がなかったわけじゃないのにね。

 

 

 

多分大野さんはエネルギーを溜め込むタイプなんじゃないかと思います。そして溜まって満タンにして、でないとやれるというポジティブな気持ちが生まれないというか、責任が持てない気持ちになるのでは。特に役者として挑んでいる時に本人から語られている言葉の端々には、すごくそういう雰囲気があります。俳優としての矜持や自負がなかなか見当たらない。

その日の仕事終わりに友達と話したり、ちょっと気分転換に映画観るとかジムで汗流すとかで仕事とプライベートの切り替えを簡単にできるタイプではなくて、異次元にちゃんと移動して自分だけの世界に没頭してエネルギーをじっくり充電していくタイプじゃないのかな。その100%に満たす異空間というのが釣りだったり寝る間も惜しんで絵を描くことだったことを身近な人は理解していたのかな、と思うわけです。(そういえばスマホの充電が100%でないと気が済まない、50%になると不安でしょうがないと言ってたことあるけど、究極それもなんか同じ感覚なんじゃないかと)

 

ただ、絵は違うエネルギーを消費している感じはします。絵を描いているのが楽しい人が芸術家になっているわけではないのと同じで、嬉しいも苦しいもひっくるめて感じたものを放出する場なのかな。その作りたい描きたい衝動を吐き出してめんどくさい作業に没頭する事で、落ち着いてまた仕事に向き合える。仕事と対極のエネルギー。一方を消費すると一方が満ちてくる。

逆に釣りは純粋に楽しんだり心も体も無にして世界の中のただのちっぽけな存在になりきる、睡眠か睡眠より効率的

うーんやっぱり表現するのが難しいですねなんかそう見えるなあ私には、ってことです。

 

「怪物くん」の時は、さんまさんに「大野くん、耳どうしたんか。病気か!」と言われたら「いや、これは役です」と話に乗ってこないエピソードがありました。

ドラマや映画までの期間を通して多分企画の一部として、大野さんがあの格好をしている時はインタビューでもゲストでも「怪物くん」、普通の衣装、嵐でいる時は「大野智」がマネージャー的なポジションで怪物くんのことを伝聞調で伝えるスタンスが決まってた感じでしたよね。もし逆にこれが企画側のスタンスではなく、大野さんが自分で決めてたことだったらそれはそれで、怪物くんになりきってしまう自分と本来の自分の境界線をつけなければやっていけないと感じたとも取れます。

いずれにせよ、怪物くんの格好のまま全く役と離れた現実的空間で同じ芸能界の大人に会って「大野くん」と言われると、自分のポジショニングについてすごく混乱した結果の返しだったのかも。まあこれはさんまさんとのそういうプレイ(大野さん的な)というもっと簡単なことだったかもしれないけど。

でも色々難しいんですよって大野さん自身が言ってたので、そういうことなのかなあと。

 

鮫島社長の時は小瀧くんも波瑠さんもまあホントに出演者の多くの人が、楽屋の大野さんを「動かない」「抜け殻」「無」と称してました。ライブ前の楽屋でも、時に動かなくなるらしいのは心配になる、何考えてるのとメンバーから言われていましたよね。

でもこれは大野さんなりのエネルギーチャージの仕方だったり、その世界に入りきるための儀式というかルーティンみたいな、うん多分。世界から切り離したり世界に入り込むために必要なことなんだと思う。

 

これは私もよくやってしまって、声かけられたり肩を叩かれてびっくりすることあるから、なんとなく同じ感覚かなあと感じてしまった。

(自分の経験ごときを大野さんに見立てて申し訳ないのですが)

私の場合、どちらも意図的ではないんですが、その場面場面で休憩中に脳みそを休めるためになにもかも空っぽにすることもあれば、これから入り込む世界を疑似体験してるような、その世界観が自分の全身全霊に映り込んでいくような感覚。勝手に意識がそうなって身体が脱力する、または足の指先から手の爪、足の先までオーラ?ベール?みたいなものを纏うような。どっちにしてもするっと突然異次元ポケットに入り込んじゃう感じなんです。別に宗教でも何でもないよ。自分が勝手に意識をそっちに向けてしまうだけ。前者は情報量が0になるし、後者はものすごい情報が一瞬で体感できる3Dの映像や空気となって360°包まれてる感じ?(こんな表現でわかるんだろうかつまり後者は音楽したりスポーツする人は、演奏前に感覚的にその音楽の世界に入る時間を持つとか、スタートラインに着いて、着く前にゴールまでの自分の理想のイメージをシミュレーションする作業をするけれど、あれのロングバージョンじゃないんですかね。

みんなでじゃなく他の人がしてないときに突然始まってるから周りがびっくりするんだろうね。

 

釣りで日焼け事件があった連ドラ「魔王」の時、役に寄り添いすぎて孤独感を現場で持続させた上に、誰かと食事に行くでもなく1人で家でじっとして「気が狂いそうになった」と漏らしたこともあります。でもそれは、溜め込むタイプだと思えばそれは役者につぎ込んでいるエネルギーが消費されながら充電が追いつかず、でも加減するのは自分に対しても許せないためにバランスがおかしくなりかけたことなんだろうなと、理解できてしまうんですよね舞台みたいに2時間ほどでそれが完結してくれないのも堪えたのかもしれない。

悪気があるんじゃなくて、仕事に没頭して役に没頭して気持ちが暗くなったり荒んだりして、そのままいったん夜までのおやすみ時間ができてしまったから、ボーッとしてたらすごくいいお天気ですごく釣りしたくなったとか、このまま役が抜けないまま休み時間を過ごすのが耐えられなくてバランスを取りに行こうと決めたとか、そんな事だったのじゃないかと。そこに「今釣りをしたら焼けちゃうかも」とか考える余地がない。一瞬100%仕事のことが抜けるのかな、という感じで。あることに没頭すると多角的な思考失われる感じかな。

んで、やっちゃって事務所に怒られる。そしたら、「あ、ヤバかったんだ。迷惑かけちゃった」と理解して2度とやらない。そんな感じの繰り返しを若い頃はやって来て、世間での常識に経験で自分を当てはめていこうとしてたのではないかな。

 

事務所やスタッフ側も、素直すぎてあまりにもこうするのは常識だからと言って押し付けすぎると、それに全て従って大野さんらしさが迷子になるのも嫌だったり恐れたりしたのではと思います。

結局自由に自分らしくいたら、(芸能界で生きてる)他の人とのペースが全然追いつかない人なんだと思う。だからその帳尻を合わせてちゃんと責任を取りきるためのチャージを必要として、逆にそれが新鮮に見えてしまうのではないかなあ。

 

誰かがその世界の常識を語れば自分との差異を感じて、落ち込むことはなくても、「あ、この常識の世界では普通はそうなんだ」と不思議な違和感を感じてしまう。だから側から見ていると、独自の世界がある人には芸能界の常識にはまって生きるって難しいなって思ってしまう。

だからって破天荒なんじゃなく、純粋に子どもの心のまま理解だけ大人になってその矛盾を抱えながら生きているのかなと感じられるから。

 

そういう大野さんのことを周りはなんだか掴み所ないけど好きなのかなって。みんな大野さんが好きだから大野さんの世界を大切にしてあげたかったのでは。

そんな風に許される部分がある世界だったのかなと思うんです。でなければ彼自身20年もここにい続けられなかったと思うから。騙されることが嫌いな人がそこにとどまり続けた理由は、どんなに誰かが才能があると思ってもそれを搾り取るじゃなく、基本自分のペースでやることを許してもらえたからじゃないかなと思うんですよね。周年や年男の理由づけがあればそれを大野さんも受け入れてくれていたし。

 

 

 

なんかつらつら書いていたらものすごい文字数になってきたのでいったん切り上げます。

そういう大野さんを周りはどう見てたのかなあと、そんな気持ちで書き始めてたんですが

もう少し続きをいずれ書くと思います。中途半端ですみません。

 

(念のため、基本このブログは性善説と妄想力で語られています)

 

もう少し簡潔に書ける文章力が欲しい…今日もダラダラすみません。