行間に自分の希望を挟まずに読む大切さ

「2017年6月中旬、僕はメンバー4人に集まってもらい自分の気持ち、思いを話しました。その内容は、2020年をもって自分の嵐としての活動は終えたいと。嵐20周年、そして2020年という区切りで一度嵐をたたみ、5人それぞれの道を歩んでもいいのではないか、また勝手ではありますが、一度何事にも縛られず、自由な生活がしてみたい、そう伝えました。」

 

 パブリックコメントは記録に残るものです。ビデオメッセージの前に書いて、それを読んでいるでしょう。だからこそこれをないがしろにするなという声があったようですが、それはまあ道理かも、ということでちょっと吟味してみることにしました(いまさら)

 

“2017年6月中旬”から“伝えました”までの内容が普通に考えて大野さんが最初にメンバーに伝えた概要となります。

 「自分の嵐としての活動は終えたい」「一度嵐をたたみ、5人それぞれの道を歩んでもいいのではないか」

これは大野さんの提案部分です。どちらにも2020年は入っているから、誰かに迷惑がかかることが嫌いな大野さんにとって2020年までは嵐としての活動することは前提条件になってたことになります。(早く辞めさせてあげてという声もたまに聞きますが、それは大野さんの本意ではありません。)

 

その上で、大野さんは「自分の嵐としての活動は終えたい」のでメンバーにも「嵐をたたんで5人がそれぞれの道を歩む」のはどうだろうかと持ちかけた。ただしここに「一度」という言葉が入ります。終わるのではなく一度嵐から離れてみてはどうかな、さらには歩もう、ではなく歩んでみてもいいのではという提案です。

 

ちょっと矛盾を感じますよね。自分は「終えたい」のに提案は「一度嵐をたたむ」

いったん保留にします。

 

そしてその次が自分の希望。「一度何事にも縛られず自由な生活がしてみたい」

ここにも「一度」が入っています。

 

そういう気持ちが芽生えた時、今までは言えなかったけど今回は言ってもいい時期じゃないかなと思ったようです。それぞれで歩けるだけの力はついているし、みんなも常に嵐を背負わず自由にやってみてもいいのではと思えたから。いなくて「迷惑をかける」ことはないだろうと考えたから言い出せた提案だと思います。

 

 

ここまでがパブリックコメントで、話し合いの詳細は会見に持ち越されます。そこでわかったのは、メンバーが話し合いを繰り返して一つにまとまった意見を事務所に出したのが2018年の2月。そして事務所に話し、5人と事務所の総意が出たのが2018年6月。これが会見で語られた時系列です。

 

保留にしていた件をここで考えます。

事務所側が「お休みでいいのでは」と提案した理由は「自分の嵐としての活動」を終えたい理由(会見にも公式にも意図して言わなかった部分があるかないかなんて誰にもわかりません。他にもあったとしても今後語られないし、言わないということはここの部分が少なくとも「大きな理由」と考えるべき)として、「一度何事にも縛られずに自由な生活がしたい」という希望を言ったからと考えられます。

病気でもないのに「3年くらい(嵐を、または芸能界を)やめますという都合のいい話は世の中にないと思っていた」から「ケジメとして事務所をやめる」(会見コメント)ことが当然と考えていた。メンバーそれぞれに思いも聞きつつとは思いますが、大野さんの希望に対して事務所が「一度体験して戻ってみるのもあり」と判断した(または5人の総意が出た時にその可能性を事務所に打診した)。さらにここで「いったんたたむ」という発言も出ていたなら、自分の方向性が決まって事務所から離れたい、嵐を辞めてこういう仕事でやっていきたいということじゃないなら、みんながそれでいいなら、今嵐をなくしてしまわなくても活動休止にして、大野くんはしばらくお休みでいいと思うよ(それを認めるよ)となったということでしょう。

 

「一人欠けては嵐ではないというのは5人の心の中にすごくあった」(会見)と言ったように、自分も含めて5人で嵐という強い思いは大野さん自身がちゃんと語っています。だから「自分が活動を終える」=「嵐をたたむ」と。自分が嵐を抜けたら残りの4人で活動という方程式は、大野さんの中で成立しないのです。ニノも「4人でも6人でも嵐じゃない」と言ってます。相葉くんは「やっぱり1人欠けてしまっては2人欠けてしまっては嵐としては難しいと思った」と、翔くんは「嵐はこの5人じゃないと嵐じゃないという強い思いがある」とコメントしています。

潤くんは「自分たちがいい形であるうちにグループを閉めるということを実際に考えたこともあった」と会見でコメントしました。「いい形」とはやはり5人でキレイにという感じが伺えます。

大野さんはそれを聞いているから、自分の希望を通す時期として「事務所を辞めることが前提になるなら」今ならいい形で閉められると思ったのかもしれません。

 

なので前にも書きましたが「5人で嵐」これは5人全てが揺るぎなく持っている満場一致の総意です。

 

 

男性グループが抜ける時、誰も「卒業」とは言いません。女性アイドルグループは人数が1クラスなみに多いこともあるからか、「卒業」という言葉を使うことでアイドル学校から独り立ちをする美しいストーリーを定着させました。でも男性アイドルはすでに40超えても出来る状況、アイドルしながら個人でも活躍できる状況を作り出してしまったために、「卒業システム」が機能しない。なので事務所をやめようがやめまいがグループには「解散」か「脱退」しかない。

でもその言葉は美しくないと思ったのか、潤くんにしても大野さんにしても嵐が終わることを「解散」とは言わなかったのはとても興味深かったです。

 

二人はどちらも「閉める」「たたむ」と、嵐という一つの超人気店をどうするかというお話にしてしまった。すごいね。普段から「解散」「脱退」という言葉を嵐に使用したくないことが行き渡っている感じがしました。記者の1人が「解散ではない?」と訪ねた時の返答以外、解散も脱退も言葉としては出てこなかったわけだから。本当に意識してるんだと思います。

 

終わりがあるならどういう終わりなのかということに関して5人とも「きれいな終わり」「立派な終わり」をイメージしているんだろうなと。2人に限らずみんな話し合いの中で、「嵐の美学」を貫き通すためにどうすればいいかを考え抜いていたんでしょうね。この「嵐」についての5人の価値観は全然ファンの思いの遥か上を飛び越えているように見えて仕方ない。

 

実はいったん休むという決断は結構覚悟が必要で、「2年後に嵐は完全閉店をし、個々の道を進むからこの最後の2年間精一杯頑張るし応援してね」という方が側から見ればキレイだし、本人たちもそれなりの理想を達成したと納得しても良かったはずです。でもそうしなかったのは、まだ嵐でやれることがある、または大野さんが何をすると決まってないからまでは帰る場所を作っておきたいという気持ちなのかなと。ここは想像でしかないけれど。それを受けて大野さんも体型やビジュアルをキープするそうだし、帰りたくないとは思ってないことが何よりも嬉しいこと。

事務所を辞めて別の事務所に行って好きなことをさせて貰えば良いのにという声も聞きます。それも大野さんの本意ではない。そうする必要もなければ事務所を辞めたいと一言も言ってないから。「何にも縛られない自由な生活」をジャニーズではない他の事務所と捉えるのは会見のどこを読んでもどう考えても無理があります。(まさかそう考えてるとまでは思わないけど、じゃあなぜそんな発言が出てくるのかが大変謎)

 

再開した時の嵐の形がどんなであるかで、彼らのスタンスも変わってくるかもしれないですね。例えば嵐に比重を今まで通り置いて個人仕事を嵐に還元するか、逆に個人を中心にして嵐を限定活動にするかとか。でもそれは今の嵐にもわからないこと。

 

公式コメントが全てとか会見では言いたいことが言えてないとか、その会見の中でもここはホントでここは言わされてるとか、それは全て自分の都合のいい考えを都合のいい部分に勝手に付け加えて、さも行間を読み取ったかのように推理してるだけです。読み取るなら感情論ではなく合理的理由が必要だし、信じるなら全部信じるべきです。それが5人の総意だから。大野さんが言わされてる根拠はどこにもないけど、信じないなら好きな人の言葉の一部も含めて全部信じない。嫌いな人のなんか引っかかる言葉も信じない。そこだけ化けの皮が剥がれたとか、ここだけ本心とか都合のいいところだけ信じるのは、自分がそうあって欲しいからでしかありません。

以上が私がパブリックコメントと会見から見出した考えですが、抜けや異論があったら是非ご意見ください。もちろん共感も嬉しい。お待ちしています。自分が完璧とも思っていないので。

ただ前提条件を一つ。私情や希望を挟まないでください。私が嵐の全てを知らないのと同時にみんなも全てを知っているわけではないから。

 

 

長い時間を経て出した結論で、出来るだけ納得してもらうためにめいっぱい言葉を考えてのコメントなので、たとえ嘘や語られない部分があったとしても私たちが分かるわけはありません。私たちは彼らの誠実さを信じて彼らの言葉を信じるだけです、だってファンだから。好きなんだから。それを自分の都合の良い解釈でここはホントでここがウソならつじつまが合うとか勝手にいじる権利はないんです。それで「大野くんかわいそう」とか「大野くんの都合で嵐を休止せざるを得なくなった4人がかわいそう」とか言うのが5人の誰にとっても1番失礼な行為です。

 

好きな人をかわいそうにしたい人は、とても不遜な思考の持ち主だと私は思っています。