Scene 〜 Beautiful World

「ぶっちゃけた話をすると、ものすごい変わったことがやりたかったの。今のタイミングで(中略)、嵐コアと言われるかもしれないし、スゲェ難しい方を行ったねっていう風に言われるのかもしれないけど、それぐらいガラッと変えたいという気持ちはすごい強かったの。なんだけど…」

 

 

コンサートDVDの特典で付いているインタビューはどれも好きなんだけど、「“Scene”~君と僕のいる風景~ DOME+」でのインタビューが今でも思い出しては何度も観てしまうくらい好きです。ずっと上を目指して悩みながらも立ち止まらず進み続け、国立や海外ライブを機にブレイクした後はさらに加速して走り続けた嵐の、12年目の立ち止まり、振り返りだったのかなと。

この頃まだ大野さん以外は20代なんだよね…

 

このライブは2010年から2011年の1月のものだけど、インタビューが東日本大地震の後に行われて、それだけに彼らの言葉の重みみたいなものを感じます。合宿が5月、このDVDの発売が6月だから、かなり直後のインタビューだったと思われます。

決してその出来事にリンクして語っているものばかりではないけれど、ほんの少し抜粋。

ちょっと見当違いなこと書くかもしれませんと前置きしときます。私の勝手な思いが強い自覚があるので。

 

 

 「昔は自分のことばかり考えて、こうしたいああしたいとかになってスタッフさんへの感謝の気持ちとかが見えなくなってる時もあったのは記憶にある。最近はみんながいるから今ここに立ててんだってのがすごく感じる」(大野)

 

「ホントにスゴい景色をたくさん見てこれたな。そこはやっぱり夢の空間なんだよね。そういうものをずっと見せてもらえて、しかも幸運なことに毎年ライブやらせてもらってるから、毎年それが観れてるっていうのはすごい贅沢だし、感謝ですよね」(松本)

 

「恵まれていたなと、トータル思います。感謝だなというのが、1番最初に出る言葉。早い段階でいろんなものをさせてもらえたなあっていうのが印象かな」(二宮)

 

 10周年を祝ってもらって、これから嵐がどう舵を切って進むべきかを考える時期に、メンバーが改めて感謝という言葉を大切にしていました。

 

そして翔くんは変わらず4人がいつもそこにいること、5人でなければできなかったことを語ってるのですが、その中で

「嵐であろうとする責任感みたいなのが生まれてくるよね。時にそれを広げようとする挑戦もあるけど、嵐という枠の中にいる責任感みたいなことも、時に生まれてくるよね」

という言葉がありました。

 

 

 冒頭の潤くんの言葉にあるように、12年目という10周年を終えて次のステージへ進もうとする嵐にとって、ブレイクした先で何をするかと考えた時、今だからこそ上ばかりを目指していた時にはちょっと保守的で出来なかったことをやってみたいと思う気持ちがあって、その方向で潤くんのことだから早くから色々次の構想を練っていたのかな。

 

そしてその続き。

 

「自分の中では、東日本大地震っていうものが、頭から離れないんだよね。」

 

 「今までもそうだしこれからも…おそらくそうじゃないかなと思うんだけど、やっぱりオレらのコンサートに来て楽しいって言ってくれる人たちって、そのエンターテイメントの時間だと思うんだよ。普段生活してる空間の中にない刺激とか、ない夢のような時間つーかさ。で特にそういうものを今年楽しみにしている人たちは多いんじゃないかなと思うから。」

 

東日本大震災は、潤くんだけでなく彼らにとってもとても大きなことで。嵐としても個人としても被災地へメッセージを送ったり直接赴いたり(それが翔くんのいう「嵐という枠にいる責任」なのかなとちょっと思っている)。どこにいても生と死を直接でもテレビからでも目の当たりにした人たちがいて、そういう人たちと接し続けることで、人々が求めている嵐の存在の意味合いも彼らの中でわかってしまったのかもしれない。

そして今やれていることが当たり前じゃないこと。あの出来事によって少なからず生まれた、自分たちが今、嵐であることでやらなければいけないと感じる職責。

上を目指している間はあまり感じなくてもよかった、嵐のあり方に対する思いの強さが生まれてきたのかなと思っています。

 

 そんなニノの次のアルバムタイトルについての話がインタビューの締めでした。

 「結果的に繋がったね、と思って。いろんな意味合いと重なるからすごくいい言葉」

「『翔ちゃん、僕らが見ている風景って一体何だったんだろう』って言ったら、『やっぱりBeautiful World だったよね』って」

 

 ここんところ、なんかすごく胸が締め付けられるというか…

これも震災とリンクしてたかどうかなんてわからないけど、そんな5人の目を通して見ていたものが美しい世界で、その土台を作っておくから、みんなは観に来てこれからも2、3時間の短い時間だけど一緒に夢を見ましょう、みんなでBeautiful Worldを作り上げましょうと、そう言ってくれているみたいだった。

 

 久し振りに全部を見返して思ったんだけど、この頃からがすごく嵐がいろんな人たちへの感謝を伝え出した時期かなあと思う。嵐の責任というものが売れたことで上乗せされたことを強く自覚し始めた時期だからなのか、内を見返して嵐を語る、みたいなことが増えたような。初期の頃からリアルタイムを追っかけてないので、全くの見当違いかもしれないけど。

 売れることでパブリックイメージが強くなる中、素の嵐ってあんまり変わってないよ、今こんな感じなのかなあというフランクな思いを伝えてくれる。そうしていつでも近くにいるよと教えてくれるような。

 

 インタビューではなく、大野さんの作品集の中の言葉から。

 「『ちょんまげ』の…あの男の子の顔だけ描いた時に、震災が起きて。」

「日本にああいうことが起こって…それでオレ個人で一から始めることってなんだろう?って考えた時に、自分で描くことが“一”だから。」

「復興にはまだまだ時間がかかるけど、裏に希望の光を入れたいなって思った時に、オレが描いたのがあの点々だったの。だからあれはちゃんと意味がある作品」

 

震災がなかったら嵐の次のライブは違う方向性だったかもしれない。大野さんのちょんまげの子どもの裏に光の粒は描かれなかったかもしれない。

運命はもしもに溢れているけど、でもどういう運命でもきっと私たちを置いてきぼりにせず、寄り添ってくれていた、今もいてくれるのが嵐だったのだなあとちょっと感傷的な気持ちになりました。

 

 

(気がつけば相葉くんが行方不明に…でも実は相葉くんのここのインタビューって、すごくハワイのインタとリンクしていて、それがまた感慨深いものがあります。またいつか書けたら。ファンの人が読んでいたらごめんなさい…)

 

3.11に寄せて。

亡くなられた方々の魂が、皆様の心が少しでも平穏でありますよう。