「4人でも6人でもない」

大野さんがデビュー当時に本当に逃げ出していたら、この世界には戻ってなかっただろう。その後の世界は、他にも逃げ出したかったメンバーがそれをきっかけに脱退して嵐が空中分解しているか、そこまでの覚悟ではなかったなら4人で嵐をスタートさせていたかだろう。

10周年を前にして、大野さんがこの世界では絶対できないことが自分のしたいことだと感じて本当にメンバーに脱退を告げていたら、うーん、その時はどうなってたかな。

 

今、ついに大野さんはまたムクムクと現れてしまった気持ちを閉じ込めることをやめて「嵐をいったんたたむ」ことを提案した。それは年齢のこともあるだろうけど、皮肉にも他のメンバーがそれぞれ成熟し尊敬できる仲間だったからこそ、フランクに伝えることができてしまったのだろうかなと思っています。

 

TOKIO4人で活動することを余儀無くされた時は突然でした。このまま解散ってことになったらどうしようとTOKIOファンもDASHファンも不安で仕方なかった中で、とにかくすぐにその方向を決めなければいけなかった。その結果は「4人でTOKIO

これはみんないやでも納得するしかなかったし、続いてくれてありがとうという気持ちを私を含めて多くの人たちが思ったでしょう。でも仕方がないことであっても再び動き出したTOKIOを観た時の大きな喪失感は拭えなかった。

 

そして何より寂しいのは新曲が出ない。新曲が出ないまでもバンド活動が再開されない。それこそがアイドルとしてのメイン活動のはずなのに。

ボーカルが抜けたわけじゃない。抜けたベースが戻ってこれることはおそらくない。戻る場所を作る必要もない。じゃあ普通のバンドのように、足りない部分をソロで活躍し色々なバンドに参加するようなプロにお願いするとか、ジャニーズの弾ける誰かをバンド専用で引き抜くとか、歌を続けたいなら、歌番組に出るなら方法はある。

ボーカルの長瀬くんにはいい曲を書く力があるのだから新曲が作れないわけじゃない。

でも今のところそれはなにも実現していません。TOKIO自身が「それではTOKIOじゃない」と思っているのか「まだ時期じゃない」「今まだその気になれない」と思っているかはわからないけれど。

 

関ジャニがメインボーカルの脱退で出した結論は「6人の関ジャニ

そこでとった行動がなんと、まだメインボーカルが籍があるあいだに抜けた後の自立を目指してライブでは6人で立つということでした。メンバーそれぞれのすごくやりきれない思いもある中で、とても瞬発力があって勇気のある行動だったと思います。突然6人ではなく、テレビでは7人いるんだなあと、特に終わり頃は7人の演奏もトークもじっくり聴かせてくれた。ファンがジワジワと6人の関ジャニに慣れてくれるように、次のステップを踏み出すすばるくんを変わらず応援してくれるように、すばるくんも他のメンバーも一丸となって6人の関ジャニにできるだけ自然に移行していった。それは6人で生き残るために、悲しんで迷子になるかもしれないファンのために、どうするか7人で(これはもしかすると残される6人が特に)相当考え抜いた結果なのだと思います。

 

これはすばるくん自身がやりたいことが決まっていて、それに向かうエネルギーが強すぎて、事務所を辞める以外なんの選択肢もなかったこともあると思うけれど。

ちなみに私は安田くんの歌が大好きなので、これからどんどん表に出て錦戸くんとメインを張って聴かせてほしいなと思ってます。(大変個人的感想。なんでwikiでは錦戸くんをメインボーカルとして、安田くんにVo.が記入されないのか不思議)

 

嵐の5人がすごいところは、みんなお互いが、自分が持っていない相手の素晴らしいところを尊敬して、その個性がそれぞれ嵐に作用しているからこそ今の信用され愛される嵐があることを理解して、1人がはみ出て驕ることなく歩みの速度を合わせてきたことにあると思います。個々のキャラをこの20年の中で試行錯誤を繰り返しつつもしっかり確立させる努力によって、5人でのお仕事の時の誰にも真似できない素晴らしい連携プレー(進行、進行のサポート役、ツッコミ(イジられ)、ファイター(時々ミラクル)、ボケ(オチ))を成立させた。だから彼らの持つ番組ではいつもゲストが気持ちよく出演でき、みんなまた心から出演したいと思っているように見えます。

かつてのSMAP×SMAPのように、出演することが一つのステイタスになるところは似ているけど、スマスマよりももっと気軽で幅広く、分け隔てなくフレンドリーな距離で接することができるグループなのではと思います。新人や年下格下には、「失礼がないように」というへりくだった感情を持たせない良い環境を作ってくれる、大御所や芸能人ではない人たちには敬意を示しながらもお茶目な部分や親しみやすさを引き出してくれる、芸人はグループ一丸でイジって存在感を際立たせたり、それぞれの芸人の個性の出しやすいバトンを渡してくれる。それは5人いるからこそできることじゃないかな。4人ではできないということじゃなく、「5人で」が完璧すぎるからおそらくグループで回すなら嵐の誰がひとり欠けてもちょっと物足りない感じがきっとするだろうと。それは結構嵐特有ではないかな。

 

他のジャニーズグループも冠番組を持っているところは多いでしょう。私は関ジャニくらいしか観ないので他のグループのあり方をちゃんと把握しているわけではないけど、多くのグループはその番組を全員で常に回しているわけではなかったり冠以外の番組にはに複数人で出たり、グループの中に別のユニットが作られていたりと、色々な形態があってそれをうまく運用しているように見えます。違ったらゴメンね。

 

嵐の冠番組として継続しているのは、5人の線を崩さない「VS嵐」と「嵐にしやがれ」です。どんなに忙しくても2人、3人で番組を回すことはしないし仕事の都合で1人お休みということもない。デビュー当初から長い間2人ペアの形態を取っていた時期はあったけど、もうそれは卒業して「5人で完璧」という世界を作り上げてしまった。ロケは1人で行い、基本的には後の4人(本人を含めて5人)で見守るという形。やっぱり嵐は「1人で出張」か「5人で活動」という、割としっかりした線があると思っています。(例外はジュレーム?CMはお金のこともあるのかもだし、企業からの注文だからでも基本はあれも松潤がメインだよね?自信ないけど)

矛盾した言い方だけど1人で十分活動していける人たちであるがゆえに、グループとしては「5人で嵐」でないと物足りないイメージがあるのではないでしょうか。(さすがにこれは超個人的意見の域は出ないけど)

 

そういえば1/27の会見で強調されてた4人だけでの話し合いは一度もなかったと、4人だけの話し合いは意味がないからというのもおもしろいなあというか、ということは4人だけで活動する選択肢は最初から5人の誰にもなかった、または考えたとしてもかなり初期の時点でないと判断して5人の選択肢から外れてたんだなあと。

だから外野がなんと言おうと5人の結論は「5人で嵐」

それがスタートでゴールで嵐の価値。そういうことなんだと思います。

 

 

 

 

なんだか大野さんという国宝級(⁉︎)メインボーカルがいなかったら、嵐のライブの質が維持できるわけない的な格付け大好きな方々がいらっしゃいますが、いやいやむしろ翔くんが抜けたライブの方がよっぽど成立しないので。(確認ですが私は大野さんのファンです)

ああいう人たちは(自分基準で)アヒルの群の中に不遇な白鳥を見つけた特別感が好きなだけ。グループやアイドルの世界にわざわざ首を突っ込まなくったって、もっと技術の高いジャズダンサーやクリスタルボイスのボーカリストは探せば絶対見つかるから、そういう人に夢中になればいいのになれない理由がそこにあります。

でもああいう人の言葉に腹を立てている人たちもそれで大野くんの印象まで悪くなる人、悪くなるんじゃないかと嘆いている人も実のところ引っ張られている人のように見えます。

 

そんな時にはニノの言葉を。

「ずっと僕らが言っていたのは4人でも6人でも嵐ではないと」

「自分たちの、嵐っていう世界の中での価値の基準の中でずっと戦っているグループでもあるので。5人でなきゃ嵐じゃないだろうと」

きっとそれが全て。

 

(再確認ですが私は大野さんのファンです念のため)