「大野智って、なに?」

このブログを書き出したのは、嵐の活動休止をキッカケに、嵐のメンバーが言うとおり彼らの言葉を信じてきちんと理解した、いわゆる自分なりの落とし所をきちんと書き留めておこうと思ったからでもあります。それが大部分かも。

これから2年間、迷った時にはこれを見返して初心に帰れるように、それを読んでまた納得して前向きに、2年間を嵐を好きな1ファンとして過ごせるために。

だからあっち行ったりこっち行ったり同じことを何度も言ってたりするところがあってとっちらかってますが、その気持ちを忘れないでいるために気になるところはほころびなく綴っておこうと思っています。

 あと少し。

 

 今回は、やっぱり大野さんのファンなので、大野さんに対して感じていることをツラツラと。(ダラダラと)

 

大野さんはダンスの振り付けだったり映像やモノ全般に対してはその本質や狙いや動きを理解することがすごく速いかわりに、言葉や会話については咀嚼するのが一呼吸遅かったり、文学方面がとても苦手だったりするように見えます。つまり全てをまず感覚的に捉えて、反射的に出てくる思いを一歩遅れて朴訥に言葉にして表に出してるんだろうなというのが私の大野さんの印象で、それが私にとって魅力でもあります。

イメージで物事を捉えることしかできなくて、それを咀嚼するのが苦手な私の理解者みたいな気持ちになったことが大野さんに惹かれたきっかけでもあります。

 

誰よりも優しいのに誰よりも頑固とメンバー言われる大野さんが「今までと違う生活」を求めて言葉にしてしまった。みんなが恐れていた、でも大野さん的には自然な気持ち。

でもメンバー的にも思いがある。大野さんが堰が切れるように思いを放出すれば同調できる部分はいっぱいあるし、でもそれまで押し込めていた気持ちに寄り添えば寄り添うほどにもう誰にも止められなかったんでしょう。次のステージをついに考えなければいけない段階になった。

 ただ4人でも十分質の高い活動できる力があっても、長い時間を使って自分たちが確立して進めている「5人で嵐」を崩すことになる。さらには4人での活動が当たり前になれば大野さんは帰る場所がなくなる(ここはすごく現実的か、5人の嵐以外考えられない頑固な人たちのかたまり)。

そんな中途半端な活動は無理だと判断しての決断かなと。

ならば選択肢は閉じるか休止、あとは大野さんが戻ってくる気があるかどうか。そこは戻ることが許されるかどうか事務所の意見を聞かなければ決められない部分だったんでしょう。

そしてどこが5人の(その後ろにいるファンの)最大納得できるところなのかを詰める作業をずっと話し合い続けたのかな。

考えるだけでなんとも気の遠くなる作業ですよね。でも嵐の最初から最後までを汚されないために努力を惜しまなかったメンバーたち。

 

一番嵐に執着しているのは多分ファンじゃなくて…うん、多分、きっと、そうだね…。

 

 そうして出された今回の落とし所ならば、私は自分なりには理解できたから頑張ってくれてありがとうという感じかな。

 

 

 その色々な渦に巻き込まれながら考えたこと。

  大野さんは嵐のみんなの優しさをひしひしと感じながら、事あるごとに言葉にしてあなたが仲間が大好きという気持ちはたっぷりファンにも伝わっている。

でも反面お仕事に喜んで行くのではなく「仕事は仕事」という線引きが作られているんでしょうね。起きてから家を出るまでに葛藤しながら覚悟を決めて、「はいっ」と気合を入れて行く感じをよく大野さんは口にしてました。行けばそれなりに楽しめるようなお仕事でもやはり「仕事は仕事」。だからといって定時に終わって余暇を楽しむというローテーションが組めるような仕事ではない。計画通りのことができても自由に動き回れるのではなく人目を避けて一般の人からもマスコミからも完璧に情報を掴まれないように休日を過ごす。

 

活動休止宣言後のしやがれでの「嵐が抜けない」というのは、今回の会見がなければ軽い気持ちで気の毒だなあとか思ったり、大野さんがオチ要因だけに半分笑いを取ってきてるよねなんて笑ったりしてみてたかもしれないけれど、あの後だと笑えないしすごく重みを感じてしまう言葉でした。あの時ゲストが質問をど忘れしてしまうあたり、もしかしてあらかじめ用意されている言葉として、自分のことを言う機会のない大野さんのちっちゃな本心を伝える場だったのかもなんて詮索してみたりも。もちろん本当のところはわからないからそれをかざしてなんだかんだと言う気はない。

 約1年前のプライベートで歌いたいと思わなくなった、描きたいから描く絵もここ2年くらい描きたいという気持ちがなくなったという発言。それって自分のプライベートの時間に何か自分を保つための趣味に打ち込んだり気晴らしをする気持ちの余裕がなくなった。切り替え方がわからなくなったということなんだろうと思ったし、この前の発言を借りればそれこそ「大野智って何?」という迷子の状態だったのでは、と思うと本当に普通に生きたい人のノーマルな気持ちの吐露として共感ばかりが押し寄せる部分ではあったんです。

そんなに息苦しいならもういいよと言ってあげたいけど言えない自分。覚悟していてもはみ出す本能を見ていたたまれなかった思い。

 

「仕事して、忙しくて帰ってきて寝て、また起きて、仕事というのが耐えられなくなってきて息が詰まる感じだった」「絵を描いたり、作品を作っていないとバランスが取れなかった」

1度目の個展の後辞めようとと思っていた大野さん。実際一時期描けなくなったけれど、嵐が忙しくなりそれどころではない中で10周年をたくさん祝ってもらって、辞める気持ちもなくなりそのうちまた描けるようになってまたバランスが保てるようになってこの時の危機を脱出した。

でも再び危機がやってくる。2度目の個展の後からラジオで絵を描く話は出てこない。(タブーだったのかもしれないけど)

そして去年のしやがれでもう2年描きたい気持ちが湧いてこないことを告白。描くことでバランスを保っていた彼はじゃあどうやってバランスを取ってたんだろう。

そう考えていたんだけど、自分でもその長い危機的状況をなんとかしたかったんじゃないかな。その頃はすでにメンバーに自分の考えを告白して、メンバー同士の話し合いも佳境に入っていた頃じゃないでしょうか。

 

しかしつくづく嵐って(アイドルって、大野智って、なの?)肝心なことはしっかり伏せても自分の心境とか近況とかをフランクにファンに伝えているんだなあとびっくり。あの時そう言えばこんなことがと思い当たる足跡を残しているから、きっとずっと追っかけているファンだったらなんとなく腑に落ちることがいっぱいなんですね。本当はそれのおかげで曲解しにくいはずなんだけど、こうであって欲しいと感情で見たり見なかったりファンの心理って難しい。

 

 

2017年6月(記事は7月)

「自分のやりたいことや思うこと、好きなことを発信してもいい時期」

「20代の頃は自信もなかったし、そんな立場でもなかったが、これからはもっと自分を出してもいいのかなと思っています」とコメントした時期に大野さんはメンバーに対して自分の思いを告げたという整合性。まさか自分を出すということがこういうことだったなんてね。でも自分の気持ちへのウソはついていないんだよね。(いや勘違いするに決まってるじゃない!とは思う。大野さんだからこそ狙ったわけじゃなさそうなのがまた…)

さらに年末の雑誌で(ということは11月の終わりくらいなんだろうか)「また絵を描きたいと思い始めた」とあったことで、本当に3年にも渡る長い危機から脱出できる心境になれたのなら良かったと思ったけれど、それは仕事の一区切りが見えてきたことへの心の余裕だったんだなあとしみじみ。(この時は流石に個人の仕事を整理している気配がありすぎて疑ってたけど、だからこそ腑に落ちたというかそんな感じのしみじみ)

 

そう思える心境なら一旦やめなくとも、ではなくて区切りが見えたからこその余裕ならば区切りがついた後に、また再開した時にきちんとバランスをとりながら仕事をできるリズムが作れるようになるまで、自分のためだけの時間をしっかり保証しなければいけない、ということですよね。

 

自分のためだけの時間。それは興味のあることに対してポジティブに自分の心のままに行動する時間もということ。そうなってみないとわからないと本人が言っているのにあーだこーだと詮索するのはとってもナンセンスだと思います。

「今まで縛られていたものを払ってみたい。その時に自分が何を思う、何をするのかなというところに興味がある」

ここに「絵が描きたい」「釣りがしたい」などと具体的なことが言われていないのは、芸能界という箱の中から出ることがなかった自分の本能が解放された時への可能性に期待して、本当の自分を知る旅に出るんだなあと、ああ、なんかポジティブでいいなあと思ってしまった。休止を告げられた悲しい会見のはずなのに。

「絵が描きたい」じゃない「釣りがしたい」でも「1人で踊りを極めたい、歌を極めたい」じゃない、「何を考えて何を感じるかわからない自分」に期待している大野さんに、ある種の羨ましさを感じるとともにすごく応援をしたい。

 

つくづく自分を騙すことが苦手で、だからこそ多くを語らず、でも語れば自分の内面を伝えてきてくれた。

理解者とはおこがましくて言えないけど、ひとりの人間としての共感をこっそり伝えたい。ありがとう。これからもその慎ましく発言する言葉を素直にひねくれずに受け取りたいと思います。

 

 

 

 

 

 どこかで嵐の20周年を「大人になった」「成人した」と書いていたブログを見ました。なるほどなー。

成人した嵐の次のステージ、次のステップ。閉じるも続くもま確立されてない、でもメンバーが何よりも守りたい嵐の美学はどう次の手を打つのか。普通のファンが考えることの斜め上を5人が全力で考える嵐という存在意義。変に詮索することなく彼らが打ち出す次の一手を見守りたい。

終わりは必ず来る。それを嵐はどう迎えようとしているのかちょっと私たちのような一般人が考えても想像できないんじゃないかと思ってます。なので夢見よう。

 

うん、夢、見せてくださいね。